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「国鉄分割民営化」 -経過

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2.経過


革マル派を除く左翼陣営が結束して反対。 1985年11月29日には中核派国電同時多発ゲリラ事件を起こして首都圏ほかの国電を1日麻痺状態に置いたが、中曽根内閣の決意は変わらなかったばかりか、国民全体の心理をいっそう国鉄から乖離させる結果となってしまった。公明党民社党は自民党案に賛成し、社会党は分割に反対、日本共産党は分割・民営化そのものに反対した。この時、共産党が指摘したのは、「赤字の最大の原因は与党政治家の介入による恣意的な路線拡張による負債にあり、国鉄の経営そのものは健全である」というものであった。

国労も、雇用確保のためにはやむなしと、執行部提案で条件付で分割・民営化を認める動議を提出。しかし当局側は、国労が各地で行っていた、地方労働委員会への不当労働行為申立ての取り下げ要求など、国労の全面降伏を求めたため、反発は強く否決された。執行部は総退陣(修善寺大会)し、分割・民営化容認派は国労を大挙して脱退。国労は最後の機会を逸したと中曽根首相は高笑いしたという。国労が全面降伏すればそれでよし、拒否するなら容赦なく潰す方針だった。なお、国労を脱退した者はほぼ全員が採用され、国労にとどまった者は、能力に関係なく優先して排除された。

また、国労組合員を余剰人員であるとして「人材活用センター」(人活)に隔離した。「人材活用」という名称とは裏腹に「教育」と称してまともに仕事もさせず飼い殺しにするという実体(廃レールでの文鎮作りや草むしりなど)が社会問題化したため、のちに「要員機動センター」と改称したが、このときの手法などが日勤教育に取り入れられたといわれる。

赤字路線の廃止も進められた。1981年より、3次にわたって廃止対象となる特定地方交通線の選定が進められ、最終的に83線が選定された。沿線住民などの反対があったが、1983年白糠線を皮切りに、45路線が廃止(バス転換)、36路線が第三セクター化、2路線が私鉄に譲渡され鉄道として存続した。民営化後の1990年宮津線の第三セクター・北近畿タンゴ鉄道への転換、鍛冶屋線大社線の廃止を最後に、各路線の処遇は決着した。かつての「赤字83線」廃止に比べると、かなり順調に廃止が進んだと言える。しかし、風光明媚な車窓で知られ、夏を中心に観光客が押し寄せていた湧網線広尾線(いずれも北海道)が廃止されたり、福岡市内に直結しながら営業努力の不足により赤字になっていた勝田線が廃止されたり、一方で当時からほとんどの優等列車が経由していた伊勢線(伊勢鉄道)が第三セクターへ転換されたりした一方、これらよりも利用率が低いにも関わらず独立した路線名を持っていない(他の線区の支線であった)がために廃止を免れる区間があったりと、廃止路線の選定については当時から「実態に一致しない単なる数字合わせ」との批判があった。なお、私鉄に譲渡された2路線(下北交通大畑線弘南鉄道黒石線)はその後赤字の増加などで廃止された。第三セクター化路線もふるさと銀河線2006年4月で、神岡鉄道は2006年11月をもってそれぞれ全線廃止、のと鉄道は路線の大半を廃止している。一方、北近畿タンゴ鉄道のように電化したり、土佐くろしお鉄道のように新たに新線を開業させたりと、逆に成長した鉄道もある。

このほかに、上記した赤字路線の廃止などで余剰職員を多く抱え、なおかつ地域経済の衰退で雇用の機会に乏しい北海道・九州では職員配置の適正化を目的に、余剰職員を本州三大都市圏電車区、駅、工場などに異動させる広域異動(後に東北・中国・四国も対象)が1986年5月〜12月に行われ、さらに新会社発足前後には本州3社による広域採用が行われた。特に北海道の場合は、家族を含めて6000人以上が鉄道マン生活を維持していくために離道を余儀なくされた。この煽りを受け、1990年国勢調査で北海道の総人口は、1920年の調査制度開始以来、初めて減少に転じてしまった。名寄市音威子府村追分町(現・安平町)、長万部町など国鉄を基幹産業としていた市町村で人口が大幅に減ったのはもちろん、旭川市函館市岩見沢市稚内市など支庁を持つ中核都市までもが、道外異動による人口減の影響を受けている。
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(前略)
そして中曽根は国鉄分割民営化等で出てきた国鉄の土地、政府所有の国有地を破格でイスラエル=森ビルに投げ売りした。
イスラエルは日本政府とGHQから略奪した資金で、中曽根が投げ売りする東京都内、日本全国の優良不動産を買収して行った。

 
1987年(昭和62年)4月1日 − 国鉄分割民営化により、新幹線はJR東海、横浜線はJR東日本か継承。
 


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